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主の御公現の大祝日 Epiphania D. N. Jesus Christi    1月2日から8日までにくる主日


 本日は救世主御公現、又は三王来朝の祝日と呼ばれている。御公現とは主のベトレヘムに於ける御降誕が広く世の人々に知れ渡った事をいう。されば始めの頃はキリストの御誕生をもこの日に併せて祝う習慣であったが、後にはそれを独立させて12月25日に記念する事と定められたのである。そして実際イエズスが世の人々に知られ給うたのは、御降誕の後暫くたってからであった。その不思議な事の次第は聖書に記してあるが、それに依れば、イエズスがヘロデ王の時、ユダヤのベトレヘムに生まれ給うと、折りしも博士達が東方からエルサレムに来て「お生まれになったユダヤ人の王様は何処においでになりますか。私共は東方でその星を見、その方を拝みに参りました」と言った。ヘロデ王は之を聞いてうろたえたが、エルサレムの人々も皆均しく驚いた。王は司祭長と民間と律法学士を悉く集めて、キリストが生まれるのは何処であるかと尋ねた所、彼等は答えて「ユダヤのベトレヘムでございます。その証拠には預言者が『ユダヤの地ベトレヘムよ、汝はユダの群中にて最も小さきものには非ず。蓋しわがイスラエルの民を牧すべき君汝の中より出でん』と記して居ります。」と言った。そこでヘロデは密かに博士達を召して、星の現れた時を聞きただし、彼等にベトレヘムに行くように告げ「行ったら詳しくその幼児の事を尋ね、見出したら知らせてくれ。余も拝みに行くから」と付け加えた。それから3人の博士達はベトレヘムに赴いたが、途々東方で見た星が彼等の上に立ち、ついに幼児の居る所に至るとその上に留まった。彼等はその星を見て大いに喜び、家に入って幼児がその母マリアと共に居るのを見、平伏して之を拝し、宝箱を開いて黄金、乳香、没薬の禮物を献げたという。
 以上の記事から、最初に述べた本日の二つの名前の由来も自ら明らかであろう。即ち主は東方から不思議な星の導きに依って3人の博士をお招きになり、彼等に親しく御自分を現し給うたのである。この博士達は古い伝説によれば、同時にそれぞれ或る国の王であったという、かように主の御公現、即ち主を知り奉る事は二、三の人の間に留まらず、多くの学者や3人の国王やその従者の人々にとって重大な事柄であったが、また何故三王来朝を祝うかといえば、彼等はそれに依って特別の聖寵を蒙り、後に洗礼を受け、聖人となり、人々の尊敬をあつめたからである。
 然し聖会は本日また主が公に世に現れて聖教を宣べ始められた事をも記念する。主の公生活の最初はヨルダン川で洗礼者ヨハネの洗礼を受けられた時である。その折り聖ヨハネは周囲の人々に「見よ、世の罪を除き給う神の子羊を!」と語り、天からは「これぞわが心を安んぜるわが愛子なる!」という声が響いた。
 最後に本日はカナの婚宴に於いて水をぶどう酒に変え給うたイエズス最初の奇蹟を偲ぶ日である。それはこの不思議に依って主の天主に在す事が現れたからである。
 かように本日は(1)三人の国王(博士)に見出され(2)洗礼者聖ヨハネに受洗され、(3)最初の奇蹟を行われて、世に現れ給うた事を記念するのであるが、中でも三王来朝は他にも重大な意義を持っているので、之を主として、御復活や聖霊降臨や、御降誕などと共に盛大に祝うのである。その意義というのは他でもない。かの博士達は遠方から来た人でユダヤ人ではなかった。然し主は人種、言語、国籍の区別なく総ての人間を聖い信仰へお召しになる思し召しであった。異国の博士達が主の御前に跪いて礼拝した事実には、この有難い大御心が明らかに伺われる。三王は即ちあらゆる人種、あらゆる国民、あらゆる言語の代表者である。されば四海平等、一視同仁の、主の博大な愛を讃仰して、この日は早くから祝われた。言い換えればこれは信仰の恵みに対する万人の感謝の日でありイエズス・キリストの神性に対する歓喜の日である。さればキリスト教信者は今日わが得たる信仰の恵みを心から感謝すると同時に、かの博士達のしたように、祈りと言葉を以て他人をも信仰に導かねばならぬ。三人の国王等は主を見出して、礼拝した後疑いもなく大いなる恵み、殊に深い信仰の恵みを得たであろう。彼等は貧しい厩に貧しげな母の手に抱かれている幼児を見たに過ぎなかったが、それにも拘わらずその救い主に在す事を信じた。それから彼等はエルサレムに帰ってその由をヘロデ王に知らせようとした。しかし或る晩一位の天使が夢枕に現れ、ヘロデはその幼児の生命を奪おうとしているから、エルサレムへは寄らず他の途から帰国せよと告げた。これも確かに彼等にとって信仰の試練であったが、彼等は少しも疑わずその通りにした。かような信仰が報いられぬ筈はない。彼等は帰国後もベトレヘムで見た事を忘れず、それに就いて人々に語り、以てその心に信仰の種を蒔いたであろうが、古い伝説によれば、後年使徒聖トマが彼等の国を訪れた時、既に高齢の身ながら三王は、喜びに溢れて早速多数の人民と共にその手から洗礼を受けたという。
 彼等の名は聖書には記されていない。けれども昔の言い伝えによればカスパル、メルキオル、バクタザルと言ったそうである。かのローマ帝国の大迫害後、始めて聖会に自由を与え、自らもその為に大いに尽力したコンスタンチノ大帝の母聖ヘレナは、ペルシャでこの三人の遺骨を発見した。それはコンスタンチノープルに移され、久しく人々の崇敬を受けていたが、後に皇帝アナスタシオはこれをイタリアのミラノ市の司教オイストギオに贈った。1163年ドイツの英雄フリードリッヒ・バルバロッサが同市を占領するや三王の遺骨を自国にもたらし帰り、有名なケルンの大聖堂に安置して人々の崇敬を受けしめた。

教訓

 我等も度々信仰の恵みを感謝するがよい。そして同時にその信仰を育んで益々強く堅くし、試練の時、危険の時にも毅然として之を守り通すようにせねばならぬ。